楽山孝志が現役引退を発表

 元ジェフの楽山孝志が自身のブログで現役引退しました。
 名門清水商業から中京大に進学した楽山は、2003年ジェフ入団。
 同期には同じ大卒の巻もいました。


 切れ味の鋭いドリブルと精度の高いクロス、セットプレーが武器の選手で、左右のサイドでプレーできるアタッカーでした。
 当時ジェフの指揮を執っていたオシム監督は、3バックが基本だったこともありウイングバックにアタッカーを置くのが好きな監督で、両サイドでアタックを仕掛けられる楽山をよくベンチにおいていました。
 左サイドから切り込むカットインを、楽山ゾーンと名付けたのは林だったか、もともと身内の中では話題になっていたのか。
 守備に課題などもあり軽いプレーも少なくなかったですが、サテライトチームの攻撃を引っ張る存在でもありました。
 ちなみに入団2年目頃に守備が軽減されるトップ下で起用された楽山を練習試合で見て、トップ下の楽山はすごかったというような書き込みを某掲示板でしたことがあるのですが、それが一時期結構な盛り上がりを見せたことがあります(笑)
 現在は掲示板などを見に行く機会はなくなりましたが、あの頃はジェフの結果も出ていたせいかネット上の雰囲気も良かったんですよね。


 しかし、当時のジェフは村井、水野、山岸といった、代表入りを期待されるレベルのサイドアタッカーが在籍。
 片方のサイドにはバランスを取って守備のできる坂本を起用することが多かったですし、なかなか多くの出場機会には恵まれず。
 主にナビスコ杯や天皇杯などカップ戦を中心に出場していきます。


 2006年から出場機会を増やし、07年には坂本の移籍などもあってよりアマル監督に重宝された印象がありますが、そのオフにアマル監督が退団。
 08年は出場機会を減らしミラー監督の就任以降は構想外となって、シーズン途中オシム監督の弟子の1に人であるペトロヴィッチ監督率いる広島に移籍します。



 09年に広島退団となりますが、翌年ロシア2部のFCヒムキにテスト入団。
 そして、2011年にはトルシエ監督が指揮を執る深センに巻とともに加入します。
 巻は2010年途中にロシア1部のアムカル・ペルミに所属していたわけで、何かと縁のある存在ですね。


 深センでは巻が怪我に苦しんだ一方で、楽山は3年間レギュラー選手としてプレーし、キャプテンマークを任されるなどの活躍を見せます。
 楽山にとっては結果的に深センがキャリアピークだったのかもしれません。
 2012年には深センで大きな反日デモが起こりますが、それでも深センの選手はそのネタで楽山を茶化すなどして仲良くやっているというニュースが出ていました。
 レギュラーとは言えなかった巻や杭州緑城の大黒などもプロ意識の高さでファンや選手に高く評価されていたようですし、日本人サッカー選手に対してかなりリスペクトされている印象があります。


 しかし、深センは2011年に2部に降格。
 それ以降も昇格できず、トルシエ監督も今年で契約満了となったところで、楽山も退団ということになっていました。
 今後どうするのかな…と思っていたのですが、2014年を前にして引退を発表。
 残念ではありますが33歳という年齢を考えると、仕方ないのかなとも思わなくもないですね。



 ブログでの最後のコメントも素晴らしいですね。
 失礼ながらジェフ時代はもっと内向的なイメージもあったのですが、ブログを読むと実際には明るい性格なのかもしれませんね。
 今後に関しては中国語の勉強もしていたようですから、中国とサッカー絡みで何か活動していくのでしょうか。
 自身も話しているように多くの名監督の下でプレーしてきましたし、それを活かして今後も頑張ってほしいですね。