櫛野亮の選手人生をジェフと共に振り返る

櫛野亮選手 現役引退のお知らせ(ジェフ公式サイト)


 ジェフで長らくプレーしてきたGK櫛野が、昨日引退を発表しました。
 ある程度予想できていたこととはいえ、こういった発表がされると寂しい気持ちになりますね。
 また1人、偉大な選手がいなくなってしまうな…という印象です。
 今回は櫛野の選手人生をジェフと共に、振り返ってみたいと思います。



 櫛野は97年に熊本の大津高校からジェフに入団。
 大津高校は現在でも多くのサッカー選手を輩出するサッカー名門校で、ジェフ関係では巻の出身校でもあり、GKとしては元日本代表の土肥も大津高出身ですね。


 ジェフ入団直後は日本代表GK下川の存在も大きく3年間試合に出場する機会に恵まれませんでしたが、2000年の神戸戦で初出場。
 しかし、その試合では下川の退場もあって急遽起用され、1-6の大敗を喫してしまいました。
 けれども、それをキッカケに試合に出場する機会が増え、下川はその年のオフに解雇。
 小倉、中田一三の解雇も含めて大きな騒動となり、署名運動が起こったほどでした。
 オシム時代への回帰の時にもフロント不信の話はしましたが、この頃から既にサポのそういった思いは強かったわけですね。



 その後、櫛野は正GKとして成長。
 危なっかしいプレーも多い選手ではありましたが、徐々にそういったミスも少なくなっていった印象です。
 岡本も試合に出始めたころはミスばかりでしたけど今では立派なGKに成長していますし、選手を若い頃から見ているとやはり我慢と経験というのは大事なんだなと感じますね。


 櫛野と言えば迫力ある激しいコーチングと、積極的に前に出る姿勢が特徴的なGKだったと思います。
 特にコーチングに関しては、真面目で静かな選手が多いジェフにおいて、非常に貴重な存在だったと思います。
 07年にジェフが苦しんだ理由の1つとして、1年間名古屋にレンタルしていた櫛野のように周りを怒れる選手がいなかったことをあげる選手もいました。
 しかし、戒めとして何度か話してきましたが、09年初旬の練習試合で櫛野や坂本が声を張り上げてコーチングをしていたところ、サポから笑い声が聞こえてきたことも…。
 08年のいわゆる"奇跡の残留"があった直後だったからこそ、サポにも緩さ(サポの入れ替わりもあったのかもしれませんが)が生まれていたのかもしれませんけど、これでは今年はダメだと痛感しましたし、実際その年にジェフは降格。
 こういった経緯もあって、私は"奇跡の残留"は良い思い出ではないと感じるわけですが。



 時代は前後しますが、個人的に印象が強いのはやはり2003年からのオシム監督時代でした。
 オシム監督の求めていた、GKがボールを奪ったらすぐに味方選手にスローして攻撃に移り変える一連のプレーを、見事に取得したのが櫛野だったと思います。
 オシム監督は積極的に素早くボールをつなぐサッカーを目指しており、GKも11人目のフィールドプレーヤーとして捉えていました。
 その頃の櫛野の攻守の切り替えやスローインの速さ、スローインの正確さ、視野の広さなどは、GKながらも"攻撃の司令塔"のように映りました。
 ロングキックやミドルシュート、PKなどへの反応は若干苦手な印象もありましたが、それを差し引いても能力の高いGKだったと思います。


 2005年にはオールスターにも選出されています。
 この年のオールスターはオシム監督も選出され巻、阿部、櫛野がスタメンし、巻が先制ゴールを決めるなど、ジェフがJリーグを引っ張っていく存在の1つだったと思います。



 しかし、2005年の夏、櫛野は左手首に大きな怪我をしてしまいます。
 2005年と言えばナビスコカップをジェフが初制覇した年で、その時のMVPはPK戦で遠藤を止めて優勝の立役者となった立石でした。
 当時は櫛野入団前の1993年から長らくジェフに所属していたものの、なかなか出場機会のなかった立石がコツコツと頑張ってナビスコMVPを取得したストーリーが大きく取り上げられていました。
 それも怪我さえ治れば、櫛野が復帰するだろうという思いがどこかにあったからかもしれません。


 しかし、それ以降も安定したプレーを見せた立石は正GKに定着。
(余談ですが、オシム監督は日本代表でも積極的なGKと安定感のあるGKを選出していた印象があり、両タイプのGKをチームに組み合わせるのが好きな印象があります)。
 その後も櫛野は怪我に悩まされていた一方で、06年後半から監督に就任したアマル監督は世代交代を目指し、岡本も積極的に起用していきます。
 これにより、06年のナビスコ杯決勝も岡本がゴールを守ることに。


 そして、07年には名古屋に移籍するわけですが、日本代表GK楢崎の存在もあった上に名古屋でも半月板損傷してしまいます。
 櫛野はもともと怪我の少なくない選手ではありましたが、05年からは大きな怪我に悩まされ続けてジェフ復帰以降もベストフォームは戻せなかったのかなと。
 2010年江尻監督の下J2で戦った時には岡本から一度レギュラーの座を奪い返しますが、試合から遠のいていた時期も長かったせいか安定したパフォーマンスとはいかなかったように感じました。
 そして、今年も怪我に苦しみ練習試合にも出場できない状況が続いて、引退ということになったようです。



 強かった頃のジェフを知る選手の1人が、またいなくなってしまうといことになりますね。
 あと残っているのは、勇人と岡本くらいでしょうか。
 もちろん時代の移り変わりで選手が入れ替わっていくのはごく自然な流れではあるわけですけど、それだけ時代の流れを感じます。


 今後はジェフで指導者を目指すとのこと。
 ファッションセンスが高いことで有名で、自分で服を作ったり同僚の髪を自分で切ったり梨の皮をむくのが得意だったりと器用な面もある人で、引退後は違う方向に行く可能性もあるのかなと思っていたので、ファンとしては今後もサッカーに携わってくれるというのは嬉しいことですね。
 ジェフで多くの経験のある選手ですし、近年は良い兄貴分としてベンチからチームを支えていた印象もありますから、怖いながらも気の効くコーチになってほしいですね(笑)
 これで立石はスタッフに戻ったりするんでしょうか。



 とにもかくにも、いろいろありましたが17年間お疲れ様でした。
 これからもよろしくお願いします。