ドワイト監督体制時、選手主導で戦っていたジェフ

 今週発売されたサッカーマガジン佐藤勇人のインタビューが掲載されていますね。
 個人的には勇人のインタビューよりも、その次のドワイト監督体制時のチーム状況に関しての記事が気になりました。



 その記事によるとドワイト監督体制の6月中旬には、手達の判断で流動な戦い方に移行したと書かれています。
 これは当ブログでも取り上げましたけど、栃木戦のことでしょう。
 試合後に伊藤も話していますが、オーロイが出場停止で久保がスタメンとなったこともあり、伊藤、米倉と共に流動的な攻撃が作れ、相手の守備を混乱させることが出来た試合でした。
 すでにオーロイ対策もとられ、2列目へのマークが厳しくなって攻撃が手詰まりになっていた状況だっただけに、可能性を強く感じた試合でした。
 しかし、それ以降はオーロイが復帰し、流動的な攻撃の質は上がっていかず、また振り出しに戻った印象でしたが…。



 また、守備の方針も右往左往する中、選手主導で戦っていたとのこと。
 解任直前の練習でも、選手達が守備の方針を決めていたと書かれています。
 8月の札幌戦で0-4で敗れた後の富山で「途中から4-4-2に変えたのか?」と聞かれてドワイト監督は「こちらが出した指示はウィンガーに高い位置を取るようにというものだった」と答えていますが、この頃から監督と選手の間にははっきりとした溝が出来上っていたのでしょうか?
 「右往左往」する守備方針というのは、その後に実施した4-4-2についてなのかなぁとも思います。
 ドワイト監督は「J1に上がっても変えない」といっていたように4-2-3-1のシステムにこだわりを持っていたわけですが、それがうまく機能せず4-4-2に変更しました。
 しかし、4-4-2でも前からのプレスは機能せず、ラインだけは上げようとする方針を取った結果、非常に中途半端な守備となっていました。


 確かオーロイが負傷する前にも(7月以前ということに)、選手達が自発的に2トップ気味に守ったと話していたことがあったはずです。
 4-2-3-1で守っていても前からプレスが掛かっていないから、中盤に穴が出来てパスが入ってしまい、そこから”守備のずれ”できてしまう問題がありました。
 その穴を埋めるために、オーロイを1列下げて守ることを選手達主体でやったと話していた試合があったと思います。
 その時は単純に微調整を選手達の中でしただけなのかなぁ…と思っていましたが、今思えばその頃から監督への信頼は少しずつ揺らいでいたのかもしれませんね。


 もちろん微調整くらいなら選手主体で実施してもおかしいことではないと思いますが、ドワイト監督は守備の基本的な部分も作れていなかった印象で。
 神戸監督体制になって、守備の約束事がたった2日で出来つつあったことを考えても、やはりドワイト監督は守備の基本・約束事を作れていなかったんだろうなぁと感じます。
 もちろん攻撃も…ですけど。



 それを考えればもし運良くJ1に昇格できたとしても先は見えていたわけで、監督交代も仕方のない状況だったとは思います。
 しかし、守備の構築を期待して招聘したはずのドワイト監督だったにもかかわらず、まったくそこが期待外れに終わったこと。
 そして、サカマガにも書かれていましたが、現在の神戸監督体制のサッカーは昨年の江尻監督のサッカーに方向性の近いものを感じるわけで、この1年は何だったのかということ。
 このあたりはドワイト監督内定の時にも言いましたけど、やはり日本人監督の方が良かったのではないのか?とも思うのですけど…。


 結局。なぜドワイト監督なら去年からの方向性を変えてでも守備を構築できると考え、今年1年で昇格できると評価したのか。
 その裏付けというか、判断基準はどこだったのか。
 少なくとも監督としての実績はそこまである方ではなかったわけですし、何を持ってドワイト監督ならジェフで成功すると判断したのか。
 今後、同じミスを繰り返さないためにも、意思決定の基準がどうあったのかが、気になるところではないかと思います。