マネージャーによって人生が変わることもある
マネージャーというと芸能界なんかのイメージで、「付き人」や「雑用係」という感じがするけれど、F1では移籍先の交渉やチームとの将来を話し合うなど非常に重要な役目。
サッカーでいうところの代理人が、F1で言うところのマネージャーに近いといえるかもしれません。
もちろん代理人業だけでなくドライバーのマネージャーは相談役などさまざまな仕事があり、ぴったり同じというわけではないのでしょうけど…。
マネージャーで失敗したのが、ジャック・ヴィルヌーヴでしょう。
アメリカのCARTで史上最年少チャンピオンになると、翌年には名門ウィリアムズ・ルノーからF1に参戦。
なんと、その年の開幕戦でポールポジションを獲得し、決勝でも2位という大活躍。
1年目で4度も勝ち星を挙げると、2年目には26歳でシリーズチャンピオンになります。
輝かしいF1デビューを果たし将来が期待されてたジャックでしたが、しかし、その後当時のマネージャーだったクレイグ・ポロックが設立した新チームBARに移籍。
BARはまったくのF1素人チームであっため、マシンも遅く信頼性もなく全く結果が出せませんでした。
BAR1年目は開幕戦から11戦リタイアという不名誉な記録を樹立。
結局そのポロックがチームを離れたこともあり、BARでは結果を出せないままチームを去ることになります。
たぶん年齢的に考えると、BAR当時が彼のピークだったのではないかと思います。
その時期にあのようなチームにいなければならなかったのが、今思うと非常に残念ですね。
ビルヌーブのような個性溢れるドライバーには、多くのファンがいましたからね…。
他にはヨス・フェルスタッペンもマネージャーが悪いから、いい状況でドライブできないのではないか?と欧州のメディアに言われていましたね。
ドイツF3時代はかなり評価が高く、オランダの大口スポンサーもついていたドライバーでした。
しかし、初めてレギュラードライバーになった95年のシムテックはシーズン中に参戦中止。
その後も下位チームで走るも結果を出せず、99年にはオールホンダでの参戦が決まっていたホンダのテストドライバーとして走行するも、ホンダが直前になって参戦取り止め…。
翌年は資金難のアロウズ、03年にはあのミナルディで参戦。
04年にはジョーダンと交渉するも契約間近で失敗し、F1を去ることになります。
メーカーがこぞって参戦している今でこそ、持参金付きのペイドライバーというのはさほど価値もないのですが、当時はスポンサーが付いている実力派ドライバーなんて、かなり貴重だったわけです。
なお、アロウズの頃なんかは持ち込み金額、数十億円ともいわれていました。
それだけの額があれば、もっと上でも走れたはずなのに…。
逆にマネージャーで上手くいった例もたくさんありますね。
例えば、マッサの場合。
彼のマネージャーはニコラス・トッド。
当時のフェラーリの代表であったジャン・トッドの実の息子さんです。
マッサ自身の実力もあるのかもしれませんが(とはいえこれに関しては多くの人が疑問符をつけている)、ニコラス・トッドの存在が交渉を優位に運んだのは事実でしょう。
また、現在もミハエル・シューマッハーのマネージャーであるウィリー・ウェーバーも有名でし。
フェラーリ在籍時の収入を増やしたことでも有名ですけど、なによりチャンピオンチームのベネトンから当時は弱小チームだったフェラーリへの移籍が成功したことが、彼の名声を高めたのではないかと思います。
当時のフェラーリはオールイタリアンチームから、国籍に関係なく優秀な人材を集め、変革を狙っていました。
その見事なタイミングで、フェラーリに移籍。
初めは苦戦しますが、徐々にチーム力を高めていき、ついには「強すぎてつまらない」とまでいわれるようになってしまいます(笑)
このようにマネージャー1つでもドライバーの人生と言うのは変わってしまうもの。
特にジャックなんて、デビュー当時はシューマッハーのライバルだったわけですしね。
にもかかわらず、「走るシケイン」とまで言われてしまって…。
もちろんサッカーとF1とでは話しが違います。
けれども、マネージャーや代理人が選手やそのスポーツ界に影響を与えているのも確か。
その現状を無理矢理無視し続けろという方がおかしい状況に、Jリーグだってなってきているんですよ。
ようするに、それだけのお金が動いているということ。
だって、たかが23歳の子供に3億とか4億とかの金が動くようになってしまったんですからね。
明日の更新はお休み。
今週はM君のせいで、精神的にかなりクタクタです…。
あっ、巻じゃないですよ?
そっちは悩みというより怒りって感じだから(笑)