ジェフでの引退を選んでくれた立石
そうですか…。
「Jリーグが開幕した1993年にジェフに加入して以来、16年間プロサッカー選手としての生活を送ってきましたが、2008シーズンを以って引退することになりました。
ジェフに入ってからは、試合に出られなかったり、降格の危機に立たされたり、空席の目立つスタジアムでの試合が続くなど、苦しい状況が長く続きましたが、それを乗り越えた後には、ナビスコカップでの初タイトルや、新しいスタジアムの完成、満員でまっ黄色になったスタジアムでのプレーなど、多くの喜びを味わうことができました。応援してくださったサポーターの皆さん、クラブスタッフ、家族、友人などたくさんの方々にサポートしていただいたおかげで16年という長い間プレーすることができました。
来シーズンからは、クラブスタッフの一員として、仕事をさせていただくことになりましたので、今までの経験を生かし、選手をサポートしていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。」(ジェフ公式サイト)
今でも05年のナビスコ初優勝は、立石がいなければ成し遂げられなかったのではないかと思っています。
遠藤のあのPKを止めたシーンは非常に有名ですけど、立石は試合中にも何度も好セーブを見せてくれました。
数年たって振り返って冷静にあの試合を見返すと、決していい内容とは言えない出来でした。
どうしても経験の少ないジェフの選手達には硬さが出てしまって、当時のジェフの良さというのはなかなか出し切れなかったんだと思います(アツい試合ではありましたけどね)。
けれども冷静な立石が最後の砦となって、固い守備の元、落ち着いてG大阪の猛攻を防いでくれたのです。
そして、例のPK…。
当時のライバルだった櫛野は決してPKには強いとは言えないタイプのGKです。
そういう意味でも、あの試合でもし立石がスタメンの座を掴んでいなかったら、もしかしたら負けていたのではないか…という思いがあるのです。
あれから3年。
今期は、ようやく未完の大器だった岡本がレギュラーの座を掴むまでに成長。
櫛野もレンタル先の名古屋で経験を積み、セカンドGKでも影からチームを支えることが出来るまでに、精神的に成長して帰ってきてくれました。
若い2人が成長する中、ベテランの立石は天皇杯のベンチにも入っていなかったこともあって(怪我なのかなぁとも思っていたのですが)、もしかしたら…という思いはありました。
契約満了選手の中に立石の名前はなかったので、来年もう1年勝負するんだとホッとしていたのですが…。
今はせつない思いでいっぱいです。
立石の実力を考えると、他チームに移籍すればまだまだ存分にやれたんじゃないかと思います。
GKが不足がちのチームはたくさんあるでしょうし、この年齢でもしっかりと身体のケアを怠らない立石ですから今でも体は動くのでしょう。
むしろGKは経験がとても重要となるポジション。
数々の名将の下でプレー経験のある立石ですから、移籍してもう一花咲かせようという考えを持ったとしても決して驚きはないはずです。
それでも最後までジェフを選び、ジェフで引退することを選んでくれた立石。
こういった選手を、大切にしなければいけないじゃないかと私は思います。
ジェフを選び愛してくれている選手達をサポーターが心から愛せなければ、ジェフから離れる選手が出てくるのも当然のこと。
所詮我々には選手を選ぶ権利などないのだから、ジェフを選んでくれた選手へのせめてもの恩返しとして、そういった選手達を一生懸命応援する。
結局それしか我々にはできないのですから。
そういう想いが根本にあるからこそ、「ブーイングをしない」となったのではないんですかね。
逆に言えばそういった気持ちをサポが保てないのであれば、「ブーイングをしない」なんて方針は続けていけないんじゃないでしょうか。
話しは少しそれましたけれど、立石には多少なりともサポやファンのそういった気持ちが伝わっていたんじゃないでしょうか。
だからこそ、最後までジェフを選び、ジェフを愛し続けてくれました。
本当に心からありがとうと言いたいですね。
そして、これからもジェフをよろしく。