反省会'08その2『シーズン前半の苦戦』
監督というものはなかなか評価の難しいものです。
成績といっても選手は変わり行くものだし、内容も同様。
ですから、私はまずタイプとして区別することが重要だと思います。
アマル監督はイビチャ監督に近いタイプだったと思います。
戦術的にもチームつくりの方法からも。
もちろんイビチャ監督とは比べ物にならないですけれど、まだ若くこれかの伸びシロの期待できる監督だったと思います。
ミラー監督はもうそのまんまプレミアのビッククラブ、リバプールの戦術、チームビルディング法といった感じですね。
アマル監督もそうでしたが、ミラー監督もそのままリバプールで監督に昇格しても、手腕については置いておいてやり方は大きく変化はなかったのではないかと思います。
では、シーズン前半に苦戦したクゼ監督はどうだったのか。
私はジーコ監督タイプではなかったかと思います。
基本的な規律や細かな約束事など、いわゆる“ディシプリン”と呼ばれるものをチームに植えつけられず、自分が能力の高いと思う選手をとにかく起用しただけのただの寄せ集めのサッカーになってしまいました。
ジーコ監督も同様で、とにかくメンバーを決めて、あとは選手達に任せる選手便りのサッカーでした。
(すでにオシム監督によってベースは出来ていたアマル監督ですが、その中でもフルコート気味だった守備から中盤をゾーン気味にして新居を活かそうとしたり、DFラインを高く設定することに成功したりと、決して何もしなかったわけではなかった。)
しかも、そんな中でクゼ監督がジーコ監督と違ったのは、メンバーをころころと変えてしまったこと。
日本代表の頃のジーコ監督はメンバーを固定したことで、最低限度の約束事を選手達の中で作っていくことが出来ました。
また、日本代表の黄金世代は若い頃から共に代表でプレーしていた経験もあり、自分たちだけで臨機応変に戦うことが出来たこともプラスに運んだのではないかと思います。
もちろんそれだけではどうしても限界があり、選手の質が日本よりも低い相手アジアレベルまでならともかく、W杯では惨敗を喫してしまいましたけれどね。
けれど、ジェフでのクゼ監督はメンバーも固定せず、フォーメーションもころころ変わるため、選手の間でも約束事を作ることが出来ませんでした。
また、怪我明けの選手でも能力が高いと思ったらどんどん使い、青木良太や馬場は怪我を再発なんてことも。
全く練習ではやらなかったという3バックでの右サイドの器用に、良太が戸惑い「次言われたら断る」なんてことを言っていたこともありました。
シーズン序盤の1,2試合はそこまで悪くなかったように見えたのも、開幕前に怪我人が続出しキャンプでメンバーを固定せざるを得なかったことが、逆に選手間でしか高められなかった連係の向上につながったのではないかと私は推測します。
もちろん、大量流出の被害を受けた部分もあるでしょう。
しかし、シーズンの序盤はともかく、4ヶ月も経ってチームのベースも守備の基本すらも作れなかったというのは、さすがにプロの監督として大きな問題があったといわざるを得ないでしょう。
(言わずもがな11試合で1勝すらあげられなかったことも、大きな大きな問題でしたが。)
そして、決定的だったのが、11節の浦和戦でクゼ監督が解任され、新体勢で臨んだたった4日後の試合で、今までゾーンともマンマークともとれなかった中途半端な守備組織をしっかりと構築し、試合にも勝てたことです。
しかも、まだミラー監督が来日していた段階ではなく、澤入監督代行が指揮を執っていたころだというのに。
そう考えれば、クゼ監督の失敗はチームの状況云々のレベルではなかったように思います。
しかし、だからといってクゼ監督を責めるつもりではありません。
少なくとも人柄は良かった。
それがファンに好かれた理由なんでしょう。
(けれどその優しさ…というか甘さが結果的にチームに良い影響を与えなかったように思いますが。)
ただ、「厳しい状況なのに来てくれた…」というのは、大げさだと思いますけどね。
どう考えたってルワンダの代表監督なんかよりも、Jリーグの監督の方が地位も名誉もお金も、治安やリーグ運営のなどの面でも上でしょうから。
しかも、大量流出は知らされてなかったわけだし(監督としては調べるまでもなくジェフを選んだんでしょうけど)。
それよりも注目すべきなのは、安易な監督交代(とそれに関連した方向性の転換)というのはそれだけのリスクが伴うということでしょう。
いい監督が来ればいいけれど、そう単純なことではない。
時期によっては毎週のように「監督解任」のニュースが世界中から発信されているのは、それだけどのチームも監督選びに苦労しているということなのでしょう。