宇都宮徹壱氏「オシムの日本代表は「大いなる未完」となってしまった」


1956年のハンガリー動乱がなかったら、フェレンツ・プスカシュ擁するマジック・マジャールは、どのような進化を遂げていたのであろうか。ユーゴスラビア分裂がなかったら、かの国の代表「プラービ」は、どんなに美しいフットボールを披露していただろうか。そして――イビチャ・オシムが突然の病に倒れなかったら、2010年の日本代表はどんなチームに成長して、南アフリカでのワールドカップを戦っていたのだろうか。 
 イビチャ監督が倒れ岡田監督が就任した経緯について、宇都宮氏が非常に的確にまとめていらっしゃいます。



後任監督に就任したのは、98年のワールドカップ・フランス大会で代表を率いた岡田武史。この人選は、来年2月から始まるワールドカップ・アジア3次予選を見据えた極めて現実的な判断であったことは間違いない。しかしながら、同時に「日本のサッカーを日本化する」というオシム政権下で続けられてきた壮大なプロジェクトの断念を、他ならぬ日本サッカー協会と技術委員会が宣言した、という事実も銘記されるべきである。
 ぜひとも一読して欲しいと思います。








 コラムの内容については、特に細かく突っ込むことはないと思います。


 私がこのコラムを読んで感じたのは、「オシム監督の日本代表での挑戦は本当に終ってしまったんだな」ということです。
 なるべく冷静に代表の今後についていろいろ考えてきたつもりではあったけど、やっぱり自分の中のどこかでそれを消化できてない部分があったんだと思います。
 しかし、このコラムではっきりと終ったんだということをいわれて、改めて悲しさがやってきました。



・俊輔を今後どうするのか
・若手育成に定評のあるオシム監督が五輪組をどう料理していくのか
・本田圭は何度も呼ばれたものの使われなかったが、どのように評価していたのか
・守備の軸は出来たが、攻撃の軸はどのようになるのか
・ジェフと同様、相手がサイドに2枚置いた時の対応はどれが理想なのか
・世界と対戦した時、オシム監督がどんな手を打つのか…


 聞きたいことは山ほどありました。
 残念ながら実際には聞けないし聞いてもはぐらかされるでしょうから、ピッチ上で見て“聞く”しかないのです。
 けれど、それも叶わぬ夢となってしまいました。





 宇都宮氏は冒頭でこのように述べています。


「未完」という言葉には、どこか悲しげで、それでいて想像力をかき立てる力が秘められている。
 確かに「未完」だからこそ、想像力をかき立て興味を引かれる部分はあるのかもしれません。
 ただし、オシム監督のサッカーはどこまでいっても、ある意味で「未完」のままなのだと思います。
 たぶんオシム監督の理想とするサッカーを実現することは、どんなチームであろうとどんなに時間をかけようと不可能なのでしょうから。