<a href=http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2007/05/post_779.html target=new>西部謙司氏「ピッチ上のコミュニケーション」</a>
いちいち今あるカタカナを日本語にしようというのは、どの業界だって違和感が出てくるものです。
ある言葉が流用されているのならそれを使えばいいだけの話で、わざわざ日本語にするメリットがわからない。
それはビジネスの世界だって同じことです。
例えば、今使った“ビジネスの世界”という言葉を“商売の世界”と直訳してしまうと、やっぱり違和感があるし違うニュアンスで捉えられてしまう可能性もあります。
“ビジネス”という単語は“ビジネス”という言葉で理解され浸透されているのだから、もしかしたら日本語でぴったりはまる言葉はないのかもしれません。
逆に考えればぴったりはまる言葉がないからこそ、その言葉が生き残ったと考えた方が自然じゃないでしょうか。
西部さんは戸塚啓氏のコラムに対しての反論として、このコラムを書かれたようなので、引用させてもらいましょう。
それにしても、西部さんはマメですねぇ…(笑)
「アプローチが甘い」と書く。こちらが言いたいことは、なんとなく分かっていただけるだろう。ただ、人によって解釈が変わってくる可能性もある。それならば、「ボール保持者への寄せが甘い」とか「相手との距離が遠い」とするほうが具体的だ。
「アジリティがある」と書く。これも大まかなイメージはつかんでもらえるだろう。しかし、「敏捷性がある」とか「敏捷だ」とか、「すばしっこい」のほうがイメージはつかみやすいはずだ。
まず、アプローチに関してだけど、いちいち「ボール保持者への寄せが甘い」が甘いというより、「アプローチが甘い」で通じるのならそっちの方が簡潔だし、単純に文字数も少ない。
文章を書く上で、なるべく言葉を少なくし読者に対して簡潔に物事を伝えようとするのは、ごくごく当たり前のことだと思います。
アジリティに関しても「大まかなイメージは掴んでもらえる」と書かれているけど、状況によってはその大まかなイメージこそ、重要なのかもしれない。
アジリティを「俊敏」、「すばしっこい」と書いているけれど、厳密にはこの2つはイコールではなく「俊敏」とは広辞苑によると「頭が良くて行動が素早いこと」であり、すばしっこいとは単純に「素早いこと」など足の速いことを主に指すようです。
「アジリティ」という言葉が使われるときは、その頭の回転からなる判断スピードの早さ(俊敏さ)と純粋な足の速さ(すばしっこさ)の両方が言われていることが、多いのではないでしょうか。
このようにカタカナにはカタカナのよさがあると思います。
異なる文化、異なる場所で産まれた言語なんだから、細かいニュアンスを含めて考えれば同じ言葉などあるわけがないのです。
というわけで、しばらく自己規制をしてみることにした。次回の更新で何を書くのかはまだ決めていないが、できる限りカタカナを使わずに試合のレポートを書いてみようと思う。
これは果たして、ボケなのかなんなのか…。
レポートじゃなく考察とかでいいじゃないか、規制をかけるのなら(笑)それで通じるんだし。
それでもカタカナを排除するというのなら、それは自らの手で選択肢を減らすことに繋がります。
オシム監督が「視野を広げろ」と選手に口酸っぱく言っているような状況下で、よくもまあこんなコラムが書けたものです。
明日の更新は未定です。