<a href=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200706/at00013666.html target=new>犬の生活「THINK BY ALL!」</a>

 今週の「犬の生活」を取り扱うがどうかは非常に迷っていたんですけどね。
 理由は前回のコラムの私から見る問題点は、「言葉足らず」だったんですから。


 あの西部謙司さんが理由もなく1つの“答え”を提示するとは思えないし、ある程度何らかの考えがあってのことでしょう。ときに熱くなり過ぎて周りが見えなくなるサポーターとは、立場が違うわけだし(それはそれで悪いことではないけど)。
 けれども、西部さんはサポーターではなくジャーナリストだからこそ、重要なのは“プロセス”であって“答え”ではないと思うのです。


 私があえて一回目の文章で自分の意見を書かなかったのは、そのためです。
 解任するかしないかは大きな問題ではなく、その答えを導いたプロセスの説明が足りていない(あるいは前回と矛盾しているのに説明されていない)というところが問題だと思ったわけですから。
 まずは私の意見なんてどうでもいいことだったのです(今回もそれは基本的に一緒です)。





 けれども、今回のコラムはかなり前回のコラムの補足が入っています。 
 ですので、これでスルーしたらなんとなく申し訳がない気がするので、取り上げてみます。


まず、甲府戦終了後の時点で「監督を解任せよ」と主張したつもりはなかった。「解任を考える」と書いたのは、解任を「考慮する」という意味。正確を期すなら、「もし甲府戦に敗れていたら、解任することを甲府戦の前に考慮していただろう」となる。ただ、それではあまりに歯切れが悪いうえ、時系列も分かりにくいので、「考える」のひと言に凝縮させて端折ってしまった。だが、かえって分かりにくくなった。

 「考える」だから「考慮する」であって、「解任せよ」ではなかった。
 確かに、この発想は私の中でもありえました。もしかしたら、西部さんはそういう意味で書いたのではないかと。


 けれども、前後の文章からいって「解任せよ」の方向に読めてしまうのです。だって唐井さんだって「(解任は)ない」と西部さんには言ったらしいけれど、実際には考慮しているかもしれないわけですし。
 違和感を感じたのは私だけではなかったわけだし、違和感を感じないにせよ「解任せよ」と読まれていた方も多かったと思います。



 それはなぜかというと、結局「説明不足」だったのではなかったのではないかと。
 文字数の制限があるのはわかりますけど、「もし甲府戦に敗れていたら」くらい付け加えたってよかったはずです。
 「歯切れの悪さ」と「人の職を奪う大事な一言」の、いったいどっちをとるっていうんでしょう。
 西部さんがスポナビから仕事を貰わなくても他で食べていけるると思いますけど、アマル監督はそうではないかもしれないのです。


 それに、何よりもサポーターへの混乱が考えられます。
 だから、私はあえて突っ込ませていただいたのです。
 もちろん、自分が納得できなかったってのも大きかったのですが。



状況は解任を考慮するタイミングにはなるが、決断の条件は「結果」と「求心力(または統率力)」だ。僕の心配は杞憂に終わり、千葉は甲府、大分に連勝したから、いま監督解任を考慮するタイミングではなくなった。結果については多くのファンが不満だろうが、僕は今季は降格しなければいいと思っているから、折り返し地点で降格圈を脱していればぎりぎりオーケーである。

 だ、そうです。 



 けれど…。


求心力については「精神的疲労が蓄積されているのではないか」と書いたが、前回は十分に説明できなかった。僕の言う「精神的疲労」は、一般的な意味とは少し違う。最終的には同じなのだが、「なかなか勝てないからつらい」とか、そういう次元の話ではない。

 ここは、言われてしまいましたね…。
 いや、私に言っているわけではないか。

前回、ストヤノフの件とは「あまり関係がない」とした。ストヤノフかアマルか、という話に論点をすり替えられたくなかったので、あえて関係がないと記したのだが、「戦術練習が少ない」というストヤノフの告発は、かなり核心を突いていると思う。
(中略)
試合で行われる、あるいはチームとして行いたいプレーを試合の中から部分的に抽出し、集中的に訓練するのが戦術練習だ。トレーニングの条件(広さや人数、タッチ数など)を設けることで、効率を上げることができる。戦術練習は、実際の試合よりも条件が厳しい場合もあり、選手には集中力が要求される。肉体的にではなく、精神的に、脳が疲労するような練習だ。ところが、戦術練習での精神的疲労は、逆に試合での精神疲労を軽減する。 

 戦術練習とはメンテナンスのようなものであり、ジェフの場合はそれが「核心的なテーマ」であるとのこと。
 ずっと前から西部さんはイビチャ監督は戦術練習の反復で、選手の運動量を高めていったと分析されています。運動量の多いサッカーを反復練習でやっていけば、走ることが試合でも当たり前のことになり、疲れは感じにくくなると。
 そのあたりをおっしゃりたいのでしょう。
 なるほど。

その点で、ストヤノフが「戦術練習の少なさ」を問題視したのは、核心を突いているのではないかと思う。彼はチームが掲げるモデルそのものではなく、構築する手順の方に問題があると見抜いたのだ。


実は、ストヤノフが言い出す前から、戦術練習が少ないという話は聞いていた。僕が実際に練習を見たときもそうだった。


 その戦術練習が具体的にどれだけやれば足りるのか、私にはちょっとわかりません。
 というか失礼だけれど、そんなことストヤノフにも西部さんにもわからないんじゃないかと思います。
 要するに、一種の結果論なんじゃないかと。





 西部さんもおっしゃっている通り、アマル監督にイビチャ監督のコピーは出来ません。
 イビチャ監督の練習の中でも、“限りなく実戦に近い戦術練習”として特に秀でたモノでした。
 無理矢理に戦術練習を増やすのは簡単かもしれませんが、質が高くなければさほど意味はなさないでしょう。
 理論的にはわかりましたが、「それならば別の方法で」というアマル監督の考えだって、一概には否定できないんじゃないかと思うのですが。



 ってか、ストヤノフの発言をそのまんま受け止めたわけではないとはいえ、十分に関係はしている気がするけど(笑)
 だって、結局は西部さんのおっしゃっている「精神的疲労問題」よりもストヤノフの言い出した「戦術練習不足問題」の方が、文章のポイントになっていますし。





アマルを監督に立てたのは、イビチャの路線を継続するという目的があったはずだ。その判断は正しかったと思う。けれども、アマル監督は正しく継続をしているのか。チームをさび付かせてはいないだろうか。

 「結果はぎりぎり許容範囲」なら、最終的には内容となると思います。
 求心力の問題も少なくとも今はそこまで出ていないと思いますし。



 となってくると、最終的に問題になるのは、アマル監督がチームを上手く継続していることが出来るのかだと私は思います。
 もし、真剣に解任を考えるのなら、それに加えて今までの方向性を維持できる監督を呼べるのか、呼べないのなら新たな方向性を作り出すということでいいのか。
 そのあたりをきちんと考えるべきだと思います。


 私は「解任を考える(考慮するであっても)」という時点で、そのあたりにも突っ込んで考えなければいけないと思ったのですが、今回の西部さんのコラムにもそのあたりの記述はなかったです。
 それこそ、文字数の制限などもあると思うので仕方ないとは思いますが、ちょっと残念です。








 それと、ガンバ戦では「これをベースに上乗せしていけばオーケー」と言っていたのに、1ヵ月後には「アマル監督は正しく継続をしているのか」に変わったのかという理由は結局わかりませんでしたね。
 ストヤノフの発言がきっかけで心変わりしたということなのでしょうか?もしそうならやっぱり「ストヤノフの件ともあまり関係がない」は違う思うのですが…。むしろ大いに関係しているかと。
(百歩譲って意図は違ったとしても、読者には少なくともそう読める。「意見が変わった理由はストヤノフなんじゃないの?違うの?じゃあ他に何があったの?」と。読者だってそこまで馬鹿ではないでしょ。)


 もし、ガンバ戦のコラムではチームの方向性(イビチャサッカーの継続)をまったく考えず「このまま上乗せすればいい」といっていたのならば、それこそ問題があるような気もしますが…。










 他にも気になるところはいくつかありますけど、大まかにはそんな感じでしょうか。


 基本的には、ここまで書いてくださったことに感謝しなければいけないと思います。
 非常に面白いコラムでした。でも、最初からこう書いてくださればさほど大きな問題にはならなかったのに…と思いますが。



関連リンク:「西部謙司氏「自分がフロントならアマル監督の解任を考える」」
       「アマル監督の評価と方向性の維持」