ジェフのポリシーと個人的な想い

 これを書きあげるのに、かなり日数がかかってしまいました。
 本来はジェフにとって出来るだけ前向きなものにしたいという思いもあり、自分の感じる違和感を隠し通そうと思えば隠し通せたと思います。
 しかし、サッカーやジェフに対して、嘘はつきたくない。
 ただ見たままのサッカーを分析するだけなら可能でしょうけど、極論を言えば私が書かなくてもいいとも思いますし。
 仕事と言うわけでもないんですしね。


 ということで、今のジェフに対する複雑な想いを、出来るだけ素直にまとめてみたいと思います。
 自分の感じる違和感を綴った駄文ですので、当然そうは思わないという方もいるでしょうし、気になる方だけ読んでいただければ。
 これで自分のスタンスは、はっきりするかなとは思うのですが。



 まず、関塚監督について。
 今でこそ五輪代表監督という印象の強い関塚監督ですが、自分の中では川崎時代の印象が強く五輪でも川崎時代の延長線上のサッカーをやっていたと思います。
 むしろ五輪では日本人限定ということが、結果的に関塚監督にとって良い方向に進んだ印象もあります。
 本来は外国人選手にこだわりたいタイプの監督なのにそれが出来なかったことによって、逆にチームとしてまとまりが出来たのではないかと。
 しかし、ジェフでは川崎、あるいは磐田に近い状況なはずですからね。


 関塚監督が川崎の指揮を執っていた頃、ジェフではオシム監督が指揮を執っていた頃は重なっていた時期があります。
 オシム監督はトータルフットボールを掲げ、特定の選手に依存するようなサッカーを否定していました。
 一方、当時の川崎はDFラインに身長の高い選手を並べて、外国人FWをこれでもかと並べるスタイル。
 実際、テセとジュニーニョが得点の半数を占めることも多く、どこからでも点の取れるジェフとは真逆のサッカーをしている印象が強くありました。


 また、オシム監督といえば後方からの積極的な攻撃参加などリスクを負った攻撃サッカーが有名で、見る者を楽しませるサッカーとして高い評価を得ていましたが、当時の川崎は前線の選手が仕掛けることをメインとしたなるべくリスクを避けるサッカーをしていたように見えていました。
 結果を重視したサッカーをしていた印象のあるの川崎と、「結果だけでなく内容も見ることが大事」と話していたオシム監督。
 スタンスが大きく異なって見えており、実際に関塚監督はジェフに就任からもかなり保守的なサッカーをしていると思います。



 ジェフを応援していた者としては当然当時のジェフのやり方にプライドを持っていましたし、攻撃的なプレーは見ていて純粋に面白く、全員で攻め全員で守るスタイルは生真面目な選手たちが多いジェフに適したサッカーだとも思っていました。
 一方で当時の川崎は上記のとおりやり方・考え方は発想が大きく異なるサッカーをしていたわけで、好みの問題ではあるものの理解できない相手だろうなと思っていました。
 ジェフは予算がなくスペシャルな外国人選手などがいない困難な状況であっても、互いに助け合い、自己犠牲をいとわずに戦い、成功を収めるんだという自負があったわけです。
 もちろん川崎には川崎のプライドがあったのでしょうしそれを否定するつもりはないわけですが、こちらの方が難しいことをやってのけているだというプライドが自分たちの中にはあったはずです。


 この辺りは当時のジェフとともに歩んできた人にしかわからないものだと思いますし、それで当然だとも思います。
 しかし、それだけに当時からジェフを応援している方ほど、関塚監督就任に前向きではない部分がある人が多いような印象を受けますし、実際自分もその中の1人ということになります。
 文字にすれば些細なことかもしれませんが、心に残ったイメージというのは、ある意味で何よりも強く残るものでもあるわけで。



 無論、あれから長い年月が経ち、ジェフも多くの変化、多くの経験をしてきました。
 ジェフの文化というものも当然変わるものだと思いますし、今更10年近くも前の想いをひっぱり出してきても仕方がないという気持ちもなくはありません。
 実際に当時の印象など忘れている人や、今とは違うと考える人も当然多いでしょう。
(とはいえ、オシム監督のサッカー観というものは時を経てもどんなチームに対しても当て嵌まる普遍的なものだと思いますし、だからこそジェフサポに限らず多くのサッカーファンに愛されたのだと思うのですが…。)


 しかし、オシム監督に限らずですが、監督が変わったからといって、ころころとプライドや哲学を変えるようなクラブが、積み重ねを作ることができるわけもなく。
 ジェフはあまりにも、過去を蔑ろにしすぎている部分があるのではないでしょうか。
 過去の成功・失敗から何も学ばずに新たな希望ばかりを見て"上書き保存"し続けているから、何の成長もなく同じミスばかり繰り返しているようにも思えなくもありません。
 本来は自分たちのプライドや哲学を持ってクラブを応援し運営していくことによって、ジェフの強みやポリシーといった『ジェフイズム』が構築されてくるはずなのに、短絡的にしか見られないからこんな惨状になっているのではないでしょうか。
 過去から学ぶべきものはもっとあるはずだと私は思うのですが。


 鈴木監督のチームにももちろん課題はあったし、当然オシムサッカーとは異なるものでした。
 けれども、組織的に戦うサッカーというのはこれまで数年のジェフにはなかったことだし、攻撃面の連動性というものもジェフでは本当に久々に見られたものでした。
 メリットもデメリットもあったのかもしれませんが、コツコツと作るチーム作りというものもジェフに足りていない部分ではないかと思っていましたし、それこそ過去の失敗を経ての変化にも見えなくはありませんでした。
 斉藤TDが新体制発表会で話していた「千葉が目指すサッカーはボールを動かして、みんなでゴールを守り、点を取ること」という話は、ともかく短期での結果を求めて失敗し続けてきたクラブの反省を活かした上での方向性だったのではなかったかと思ったのですが、結局は結果を第一に考える監督に交代してしまった。
 長期的ビジョンを持って鈴木監督を支えていくのかと思ったのですが、戦術的にも木山監督の頃に戻ってしまった印象がなくもありません。



 クラブのあり方においても、個人的には違和感があります。
 何度も話してきたとおり、一貫性のないクラブ運営。
 そもそも「地盤つくり」を話した関塚監督と「自動昇格のため」といっていたフロントは、目標・方針の話をしっかりと詰め、コンセンサスを得ているのか。
 監督解任におけるプロセスなどの説明の不十分さ。
 成績にしろ、土台作りにしろ、どこが原因だと誰が判断して、監督交代を決めたのか。
 そして、フロント、一部のファン・サポーターなども含めて、解任した監督へのリスペクトを感じないこと。
 クラブとして鈴木監督への感謝の言葉の1つも出ていないはずで、心情的にも嫌悪感を覚えます。
 今一番引っかかっているのは、意外と最後の部分なのかもしれません。


 クラブチームの価値とは、サッカーの意味とは、スポーツの存在とはいったいなんなのか。
 何を求めてクラブを応援し、クラブは何をもたらすのか。
 結果はもちろん大事ではあるだろうけど、それだけを求めて本当の意味で『魅力あるクラブ』を作れるのか。
 誰かに責任を押し付けて追い出し、新しい人物を連れてきて、それでまたダメならまた繰り返すのか。
 仲間だった人も愛せないクラブに、愛される、魅力あるクラブが作れるわけがないと私は思うのですが。



 監督交代の理由も結局納得できるものは出ていないように感じるわけですが、逆に言えば監督交代の理由などどうにでも出来るものなわけで。
 成績不振、試合内容の問題、土台作りの失敗、選手からの信頼感…いくらでも作ろうと思えば、作れてしまうものでしょう。
 オシム監督の頃ですら、スタートダッシュに失敗した最終年は「2バックの採用」や「選手の固定化」によって、一部サポには批判が出ていたことを私は覚えています。


 しかし、だからこそ、先ほど言った『ジェフイズム』が必要になってくるはずなのです。
 唯一無二の正解などないスポーツの世界だからこそ、どこは譲れず、どのような強みを持ったクラブにしていきたいのか。
 今のジェフのポリシーとは、いったいなんなのか。
 だからこそ、私は今年初めに言われた「土台作り」に期待したのですが、ポリシーも忍耐力も足りずにさっさと監督を変えてしまった。
 そんな状況で新たなネームバリューのある監督を連れてきて同様のことを期待すると言われても、「はい、そうですか」と即座に切り替えられるほど器用な人間では私はないわけで…。
 実際のサッカーを見ても、前体制で作られた「土台」やサッカーは、早くも新たなものへの塗り替えられている印象です。
 もちろん、全てが塗り替えられるわけではないとしても、この1年半はなんだったのかとつい思ってしまうもので。



 そもそもとして、このクラブは甘すぎるのではないでしょうか。
 誰が解任の主導権を握っていたのかはわからないですが、あんな状況で解任するほどシビアに短期間の結果を求めるというのなら、もっと積極的な補強をすべきだし(強化部)、予算が足りないならお金を集めてくるべきだし(フロント)、お金を出すべきだった(親会社)はずで。
 逆に土台作りを第一に考えるのであれば、あんな状況で簡単に監督を変えるべきではないでしょう。
 斉藤TDも新体制発表会で「ここでやめてしまうと土台づくりの大事な時期を失ってしまうということで、引き続き同じスタッフで戦う」と話していました。
 しかし、結局監督にだけダメだった責任を押し付けているような印象があります。


 まるでトカゲのしっぽ切りのようで、クラブとして本質的な改善をしようという意思を感じない。
 「プロは成績を求められるのは当然」だというであれば、プロであるジェフというクラブも変わらなければいけないはずなのに進歩が見られない。
 結局、戦犯を探して責任を取らせて終了。
 その責任の一端は、ファンやサポーターにもあるのかもしれません。
 もちろん、だからと言って監督以外に責任を取ってほしいとかいう話ではありません。
 大事なのはサッカークラブとして、より本質的な問題を見つめ直すことなのではないかと私は思います。




 率直に言って、監督交代にせよその前後のプロセスにせ新監督就任後の雰囲気にせよ納得できないことばかりで、特に私はクラブ運営を中心にサッカーを見ているところがあるだけに複雑な思いは増すばかりです。
 実際、長野戦の直前にUNITEDに関するつぶやきを見て 、試合の立ち上がりは全く集中できませんでした。


 では、その本質的な問題はなんなのか?と考えていくと、やはり「クラブとしてのポリシーのなさ・弱さ」が主因ではないかと私は思います。
 けれども、それはそう簡単に変わりそうもなく…。


 もしかしたら、フロントや強化部など一部の方達は信念を持ってやっていこうとしていたのかもしれない。
 しかし、もしそれをクラブ内部であろうと外部であろうと、他の誰かしらが簡単に折ってしまうというのであれば、それはもう「クラブとしてポリシーがない」のと同じことでしょう。
 むしろ社長もTDも監督も変わっても、クラブの問題は変わらないままなのだから、その他に問題がある可能性の方が高いのかもしれない。
 そう考えるとすると、クラブとしてどうしようもないほど大きな問題を抱えていることになるわけで、外から見てる限りではますます悩ましい状況に陥ってしまう…。



 もちろんクラブを応援し続けたい思いはある。
 けれども、この先に未来はあるのか…。
 誰かに責任を取らせて本質的な問題から目を背けるような事態が続くのであれば、例え結果が出るようになったとしてもそれが『魅力あるクラブ』を目指すものとして許されるものなのか…。
 少なくとも私は…。



 いつもは文章の最後は綺麗にまとめたがってしまうのですが、あくまで今回は素直な感想ということで。
 強引に新チームに気持ちを切り替えて、次への希望を見出すこともできるかもしれません。
 けれども、ここまで何度も失敗を繰り返してきたわけで、簡単に目先の希望だけを見ることは今の私にはできないというのが正直なところです。
 あくまでも、クラブの現状を長期的な、広い視野で見てどう捉えるのか。
 そして、この先クラブがそれぞれの関係者が描く"成功"に辿り着けるのかどうか。


 監督解任の説明不足もあって、クラブ単位で描く"成功"というのは宙ぶらりんのままだと思っていますから、それぞれが"成功"を考えて"希望"を見出すしかないわけで。
 そう考えれば、関塚監督への見方や評価が、それぞれによって違いが生まれてしまうのも、当然のことでしょう。
 クラブとして何が最優先なのか曖昧なままチームは進んでいるわけですから、ある人は結果だけを見て評価し、ある人は将来を考えて分析する…。
 その時点でこのクラブはもうバラバラだと言っても、過言ではないのかもしれません。


 まぁ、そんな状況でもあえてオシム監督の言葉を借りるとすれば、「それでもサッカーは続く」…。
 クラブのあり方に疑問や不安を感じながら、見守っていくしかないのだろうなぁと私は思います。