唐井氏が統括本部長を務めた2007年を振り返る

 改めまして、ジェフでチーム統括本部長を務められていた唐井さんが復帰することになりました。
 唐井さんがチーム統括本部長を務めていたのが2007年ですから、実に6シーズンぶりということになりますね。
 あれからかなりの月日がたったということになりますか…。


 あまり思い出したくもない記憶ではあるわけですけど、twitterなどを見ると当時はジェフサポではなかった方も増えている印象で。
 その前後がジェフにとっての過渡期だったというか、サポも入れ替わった印象がありますし。
 あまり過去の話はしたくはないのですけど、過去から学ぶべきこと反省すべきことはしっかりと整理しなければ進歩はないと思いますし、語り継ぐことがクラブのアイデンティティの形成に繋がり、延いてはストロングポイントにもつながりかもしれませんからね。
 ここ数年のジェフはあまりにもそれまでの経過を無視して方向性がふらふらとしていた印象もなくはないですし、強いチームを作りたいという気持ちはもちろんですけど、どういった強みを付くかが大事でもありますしね。



 さて、話は横道にそれてしまいましたが、2007年シーズンを振り返る前に、2006年にジェフにとっては大きな出来事がありました。
 ドイツW杯後のイビチャ・オシム監督の日本代表への就任です。
 日本サッカー協会Jリーグのシーズン途中にジェフから直接的指揮官であるチームの監督を"強奪"したというニュースは、ジェフのみならずJリーグサポーターから大きな反感を産みました。
 背景にはドイツW杯での日本代表の惨敗などもありその失敗から目を逸らすために、早期に(契約前に)当時の川淵三郎会長が口を滑らせたのではないかという見方もありました。
 そういった経過も含めて、大きな問題となりました。


 一方で、ジェフではシーズン途中にオシム監督を奪われてしまったことに対して、フロントへ責任を追及する声が高まります。
 川淵会長と当時の淀川社長は古河で先輩後輩の間柄ということもあり、申し出を断れなかったのではないかという憶測も広がります。
 加えてシーズンオフには阿部、坂本、ハース、クルプニといった主力選手が退団。
 そして、それまでのチームを築き上げてきた祖母井さんもグルノーブルへ移籍と言う流れもあって、ますますフロントへの不満が広がっていきます。



 そんな状況で迎えた2007年。
 監督には2006年途中父からバトンを受け取ったアマル・オシム監督、祖母井さんの紹介でジェフに加入した唐井さんの新体制でシーズンに臨むことになりました。
 06-07年のオフには下村、池田、新居、黒部、ジョルジェビッチ、朴宗真などを補強し、シーズン途中にはレイナウドを獲得。
 今でこそ選手を買うのが当たり前のクラブになっていますが、それまでのジェフを考えると積極的な補強を行いましたし、各選手それなりの活躍は見せてくれたと思います。
(ただし、唐井さんは06年12月に就任しており、上記の選手の一部は祖母井さんなどが準備していた可能性は十分ありえることだと思いますが。)
 しかし、結果に関しては芳しいものとは言えず、最終的に13位でシーズンを負えます。


 けれども、この時のチームというのは多くの逆風があったと思われます。
 まず、オシム監督が就任したこともあって、多くの選手たちが日本代表や五輪代表に選出されていたこと。
 巻、羽生、山岸、勇人、水野、水本などが選出され、コンディションもボロボロで、プレッシャーもかなりのものがあったはずです。
 今とは違って層の薄いチームでしたから、多くの主力選手が度々代表に選出されるというのは、かなり厳しいものがありました。


 加えてサポーターからのバッシングも酷かった。
 試合前からブーイングをしたり、新潟に移籍した坂本には一番の声援を送ったりと、試合に集中できるような状況ではなかったと思います。
 この背景には結果が下降気味だったこともあったのでしょうが、サポーターがフロントへの不満をチームにまで持ち込んでしまったという大きな問題もあったのではないでしょうか。
 雰囲気は最悪で、試合前から勝負は決まっていたところもあったような気がします。
 それでも青木孝太や水野、水本、工藤、岡本といった若い選手が経験を積めた年でもあり、シーズン終盤にはクラブ新記録となる6連勝を成し遂げるなど、まだまだ可能性は秘めたチームだと感じてはいました。


 しかし、シーズン終盤にはアマル監督、唐井統括本部長を解任。
 オシム路線からの脱却を目指すことになるわけですが、それに対して反発する形で勇人、羽生、山岸、水本などが退団。
 より一層サポーターの不満が強まるという流れになっていきます。
 そして、2008年4月にはついに淀川社長が退任へ。
 後任にはそれまでの古河からの社長ではなく、JRから三木社長が就任。
 これで長年のジェフの問題は解決した…かに思われたわけですが、実際にはフロントのゴタゴタは変わらず、J2に降格、定着し今に至る…ということになります。



 05年までのリーグ戦での年間順位や05,06年のナビスコ杯2連覇に比べると、確かに2007年の成績は下がっています。
 ただ、チームはすでに下降気味であったというか、ライフサイクルの衰退期に入りつつあった可能性というのは、あまり言われていないことかなと思います。
 ネット上では2006年の前半から少しずつチームへの不満も増えていましたし、オシム監督自身も2005年あたりからチームのマンネリ化を口にすることが増えていました。
 監督が指摘していた「新しい選手が入ってこないこと」、「今いる選手たちは育ちきってしまったこと」。
 これによって、チームの成長曲線は徐々に停滞の方向に進んでいった印象でした。


 新しい選手が獲得できない。
 今では考えられないことですが、当時のジェフはなかなか選手の補強が出来ませんでした。
 当時の予算問題もあったのかもしれませんが、それ以上に問題だったのは有望な選手たちが育ちきり、結果を残し始めた選手たちの維持費などが大きくなって、少ない予算で中途半端な補強をしてもあまり効果が出ないという問題があったのではないかと思います。
 強いチームだからこその悩みで、今のジェフとは真逆とも言っていい状況だったのでしょう。


 2006年末の阿部、坂本の退団もそういった流れもあって、クラブとして世代交代を促そうとした部分は否定できないと思います。
 村井や茶野の放出もそういった面はあったはずですし。
 坂本は2006年11月末のナビスコ決勝でスタメンから外されて代わりに山岸が起用されましたし、その時点ですでにチームとしてこれから若い選手を育ててチームを作りなおそうという意図はあったのではないでしょうか。


 この世代交代に関しては、唐井さんだけではなく祖母井さんなども関係しているのかなとも感じました。
 ベテランでオシムサッカーのキープレーヤーでもあったマリオ・ハースは、祖母井さんが退団の決断をしていたようですし。
 まぁ、ハースに関しては若いアマル監督が就任するということで、ベテランのハースがいづらい状況になったなどの問題もあったのかもしれませんが。
 もともとオシム監督がいたからこそ、ハースレベルの選手がジェフでプレーしてくれていたというのもあるでしょうしね。



 世代交代を図るとすれば、一時的にチーム力は落ちる可能性は十分ある。
 しかし、サポーターなどはそのあたりの意図を汲み取れず、我慢できずに結果に急ぐ方向に走ってしまった印象があります。


 当時の唐井さんの解任に関しても、サポーターからのチームへの不満というのも1つの理由としてあったのではないかと思います。
 もちろん成績不振や、オシム-祖母井路線からの脱却的な意味合いもあったとは思います。
 唐井さん自身はアマル監督へ大きな信頼を寄せていた印象でしたし、そのアマル監督を解任するということになればセットでチームを離れるというのは自然な流れだと思います。
 当時は唐井さんへもそうでしたがアマル監督への評判が非常に悪かったですし、サポーターからの不満の声というのはフロントが支持しただけでは抑えきれないほどのものだったようにも思わなくもありません。
 それほど異常なものだったと、個人的には思います。
(要するに監督続投となれば、それだけを理由にフロントが大バッシングを受ける可能性もあった。実際には監督を交代して選手が流出したことでバッシングを受けたわけで、どちらにせよサポはフロントを批判したかったわけで、その矛先=理由作りがシーズン中はチームに向かれたようにも見えなくはありませんでした。)



 神戸TDの解任もサポーターの声は、少なからず影響を受けているのではないかと思います。
 チームがダメならば、まず責任者を呼んで来いと。
 ただ、実際には強化部のトップだけが問題点だとは限りません。
 結局、神戸TDにどこまでの権限があったのかもわからないですし、ジェフの低迷はそれ以前から起こっていたことでもあります。
 結果から判断することも時には必要ですが、2007年のように結果は出なかったけれども若手が育ったシーズンもあるわけで。
 どこができて、どこがダメだったのか。
 そして、今後クラブが進むべき道はどういったものなのかを、サポーターも冷静に考えていかなければいけないように思いますね。