坂本隊長が現役引退を発表

坂本將貴選手 現役引退のお知らせ(ジェフ公式サイト)


 事前報道の通り、坂本の引退がクラブの方から発表になりました。
 坂本の引退にあたっては、一言では表現できないというか、なかなか言葉に言い表せない部分がありますね…。


 まさかYahoo!のトップ(スポーツ欄)にまで、出るとは思ってもみなかったですが。
 まだ、ジェフも世間から捨てられたわけではない…?
 いやむしろネタクラブとして、注目を浴びているのかもしれませんけどね(笑)



 2000年に日体大からジェフに加入しプロ生活を始めた坂本は、2年目から出場機会を伸ばします。
 2002年ベングロシュ監督の下、全試合フル出場を達成し、2003年オシム監督が就任してからも主力選手としてプレー。
 2002年からレッドカードを受けた2004年途中まで、全試合フル出場を果たしていたのも特筆すべきポイントだと思います。
 2005年、2006年にはジェフのナビスコカップ2連覇にも貢献しました。


 運動量豊富で粘り強い守備ができ、171?という身長ではありますがジャンプ力もあって、スピードもある。
 クロスの精度も高く両足でボールも蹴れて、左右のサイドだけでなく時にはボランチやCBなど様々なポジションでプレーできて、運動量も豊富…と、まさにポリバレントな選手としてオシム監督から高い評価を受けていました。
 メンタル面が強く試合中にもしっかり声の出せる選手で、今でも練習中に聞こえてくるのは坂本の高い声ばかり、とよく言われています…。
 チームにとってはどうなのかなと思いますが。


 ただ、時折ミスをおかすなどドジな一面もあり、そこがある意味でファンやサポーターに好かれていた部分というか、なんとなく憎めないところもあって、逆にオシム親子にとっては「もう1つ」と感じられていたところなのかもしれません。
 オシム監督が日本代表に選出された時は坂本が代表に選ばれるのではないかという予想がされていたと思いますが実際には選出されませんでしたし、アマル監督の頃も世代交代もあって新潟に移籍した経緯があります。
 その背景には、山岸への期待もあったのでしょうけどね。
 同じようにスピードもフィジカルもテクニックもあって両足でボールが蹴れて、攻守に期待できる選手。
 坂本より前目の選手ではありますが、ゲームメイクもできるというところもありましたし、山岸がより成長すれば…という期待もあったのでしょう。



 2007年は新潟で1年間プレーしますが、そのシーズンの後にアマル監督退任し多くの主力選手がジェフを退団すると、巻の呼びかけもあってジェフに復帰。
 1年での新潟退団にはもちろん避難の声もあり、本人もそれを予想してはいたと思うのですが、それでも坂本はジェフ復帰を選んでくれたのでしょう。
 今ではその巻が退団することになったのは何とも残念な話ですが…。
 

 ここ数年の坂本は年齢もあってスピードなどに課題が出てきており、特に一対一での守備が重要なサイドバックでは苦しい印象もありました。
 それでもベテランらしく読みで守備に貢献し、昨年までは20試合以上に出場し、今期もリーグ戦で9試合出場するなど貢献してくれました。
 オシム監督以降なかなか攻撃の作れていないチームにおいて、後方から飛び出していく動きを見せて、攻撃の流れを活性化するプレーなども見せてくれました。
 「技術だけでなくて、こういった動きが重要なんだよ」ということを、身を持って見せてくれていたような気もします。



 ベテラン選手になった坂本の活躍は、逆に言えば、走れて、戦えて、攻守に期待できるような"次の坂本"が、なかなか出てこないジェフの問題点を晒し出していたような気もします。
 攻撃に特化した選手だとか跳ね返せるCBはお金で獲ってこれたとしても、坂本のように地味でもチームに貢献できる"水を運ぶ選手"は、自分たちで育成しなければダメなんだということなのかもしれません。
 そして、そういった選手が育たない限りは、チームのベースも出来てこないということでしょうか。


 坂本は「いつかジェフの監督に」という話もしてくれたようですし、今後はそういった選手の育成にも期待したいところです。
 もちろん、1人のコーチだけでそういったことができるわけではないと思いますが。
 どちらかといえば坂本の性格などを考えると、カリスマ性やずる賢さも必要となってくる監督というよりも、選手たちの兄貴分となるコーチ向きな気もしますが、様々な経験を積んできたのは確かですしね。
 結果的にジェフ一筋ではなく新潟で1年間プレーしたことも、他のクラブを経験したという意味で、指導者の道を進むのであれば大事になってくるのかもしれません。
 ただ、ここ数年、選手からスタッフやコーチになった立石、斉藤大輔のクラブ内での扱いを見ると、どうにも大事にされていない印象もなくはなく、指導者としての資質以上にそちらの方が心配だったりもしますが…。



 ところで、坂本の愛称でもある「隊長」という呼び名。
 マスコミでも取り上げられるようになりましたが(新潟に移籍したあたりからマスコミも使うようになっていきました)、もともとは隊長と呼ばれていた当時全盛期だった中山雅史と同じように声が高いということなどから、2chなどで使われていったものだったはずです。
 そのため、隊長ではなく体調なんて使われ方もされましたが。
 もちろん、2人とも熱いプレーができる選手という共通点もあったのかもしれませんが。
 その中山も今年で引退ということで、偶然ではありますけどなんとなく運命も感じたりして。



 こういった文章を書くと少しずつ実感が沸いてきて、悲しくなってきてしまいますね…(笑)
 個人的にはJ2降格当初から結果は急がずベースを作っていくべきだ、結果的にそれが"ジェフ復帰"において近道になるんだという話をしてきましたが、一方でベテラン選手である坂本などの存在を考えると「坂本と一緒にJ1に上がりたい」という気持ちも実はあったりしました…。
 それが達成できなかったのが、唯一の心残りかなと思ってしまいます。


 本当に長い間お疲れ様でした。
 そして、指導者として今後もよろしくお願いいたします。



 明日は更新お休みします。