2015シーズンを振り返る その1

 最終節終了後から様々なニュースが出回っていたこともあって、今日からようやく今シーズンをじっくりと振り返ることができます。
 大枠の感想に関しては、シーズン終了直後にアップした関塚監督に関するエントリーで書きましたので、今回からそちらをより具体的に取り上げていく形になると思います


 …といってもまずは序章ということで、今シーズンを経験したことで改めてわかった、昨シーズン後半の話をしていきたいと思います。
 この1年半をしっかり精査することが、来季以降において重要なことだと思いますので。
■関塚監督就任当初の成績は変わらず
 まず、昨年の勝点を月別ごとにグラフ化してみました。

 対戦カードの違いもあるため誤差などはあると思いますが、パッと見でわかるのは関塚監督が就任してから成績が上がったのは10月、11月だということ。
 6月末に鈴木監督が解任され7月にも成績が伸びていますが、7月に稼いだ勝点10のうち勝点6は斉藤監督代行によるものであって、関塚監督が就任してから10月までは成績が伸びていないことになります。
 7月の成績上昇はカンフル剤的な効果もあったのかもしれません。


 逆に言えば、関塚監督就任以降では10月と11月しか成績は伸びていないとも言えます。
 斉藤監督代行による2試合を除くと、関塚監督が就任した7月から9月末までの平均勝点は「1.3」。
 昨年開幕から鈴木監督が解任されるまでの成績は平均勝点「1.4」ですから、鈴木監督時代の方が成績がよかったくらいでした。
 鈴木監督時代は6月に成績が落ちていますが、1点差での敗戦が3試合もあり試合内容自体は開幕時より向上していたように見えました。



 関塚監督は就任してから、頻繁にメンバーを入れ替えていきました。
 森本や山中の積極起用や、森本とケンペスの2トップ、オナイウの起用などなど。
 その時点では就任当初ということで多くのメンバーを試しているのかなと思ったのですが、今振り返るとチームがうまくはまるまでメンバーを入れ替える傾向の強い関塚監督ですから、明確な形が決まらず模索していた段階だったのかもしれません。


 ファンやサポーターはメンバーが固定化すると新しい選手を見たくなるというケースが多いですから、選手を数多く見ることができたことによって当初は好評を受けた部分もあったかもしれません。
 ジェフが歴史上もっとも結果を残していたオシム監督時代の後期ですら、メンバーの固定化には反発の声は上がっていました。
 しかし、試合に出ていない選手というのはそれなりの理由があることがほとんどで、監督交代により新しい選手が試合に出場してもそれによる好評は一時的なものでしかない印象です。


 メンバーが入れ替わる中で、兵働や大塚といったパサータイプの選手がスタメンから外れていくことになります。
 特に兵働のような選手は、個人能力で守れるタイプではないので組織的な守備が求められる。
 しかし、関塚監督になってからは個々でカバーして個々で跳ね返すといったことが要求されるため、ボランチ兵働は成立しなくなっていったのだと思います。
 そして、オフには二人は退団、他のパサータイプ獲得もなかったのも、そういった選手を必要としていない、あるいは活かせない状況であるためだと考えられます。



 攻撃においては、その兵働や中村からの中距離のラストパスが増えていった印象です。
 これは今季のアーリークロスにもつながるものがあると言えるでしょう。
 その分、細かなパスワークの構築は徐々に難しくなっていき、特に楔のパスがほとんどなくなりました。
 全体的にアバウトな攻撃が増えた印象で、得点はセットプレーによるものが多かった印象です。


 また、昨年はサイドでパスをつないで、そこから崩し切らずにアーリークロスを放り込む展開も実施していました。
 ボランチがサイドにサポートする形に関して、他サポが「関塚監督が始めた形」と言っていましたが、実際には鈴木監督時代からあったものでした。
 しかし、そこから完全には崩し切れなくなった代わりに、ニアに選手が飛び込む形に変えたのは関塚監督と言えるでしょう。
 これがある程度効果的に出来ていた部分もあったと思います。


 ただし、ベースはあくまでもサイドでのパスワークであり、そこは鈴木監督が構築したもの。
 そのため、今年はそのベースがなくなったために、サイドでつないでニアに選手が飛び込むパターンも完全に失われてしまいました。
 特に今年はパウリーニョ、勇人と上下動する選手が主軸だったこともあって、サイドへのサポートが出来なくなった部分があるのだと思いますが、健太郎が復帰してもサイドからのパスワークは復活しませんでした。
 その分、他の攻撃が作れていれば、狙いは成立したとも言えるのでしょうが…。



 守備においてはSBやボランチがCB前付近を固め、ゴール前を人数で守る形に変わっていきました。
 確かにそれによってゴール前で簡単にかわされ、失点するようなケースは減っていった印象もあります。
 しかし、その分中盤やサイドにスペースができ、そこから攻撃を作られてしまっていました。


 ここまでが9月までの流れとなります。
■走力と勢いで成績を伸ばした10月
 10月から戦い方が変わり、成績も向上していきました。
 井出、大岩といった選手たちを外して、山口慶、幸野、勇人、健太郎、町田といった、運動量豊富で広範囲をカバーできる選手たちを大量投入。
 これによって、深く守ることで中盤やサイドにできがちだったスペースを埋めたことになります。


 戦術を走力でカバーしたといった形とも言えるでしょう。
 これは今季後半のジェフにも見られた傾向であり、ロンドン五輪でも永井の走力に頼っていた印象がありました。

実際にボールを何度も追いかける永井謙祐の答えを待つ。永井は躊躇せずに即答した。
「きついです。何回も追わされると、もう走れないですよ」(サッカーキング

 この後、コラムでは選手たちを中心に守備戦術を改善していったとのことですが、確かにあの頃の五輪チームは全体が間延びしていて永井や大津がボールを追いかけまわしていた記憶があります。



 攻撃においては、ケンペスを途中投入してのパワープレーとセットプレーが主な得点源となっていきました。
 この時、後押しになったのは、サポーターの雰囲気だったように思います。
 それによって試合終盤、押せ押せムードを作ることができ、2008年のいわゆる奇跡の残留の頃を思わせる部分がありました。
 結果的に翌年の失速も重なってしまったわけですが…。


 もともと鈴木監督は、ジェフサポーターからの評判がよくなかった印象です。
 近年のジェフは派手な要素を求める傾向が強い印象で、我慢を要求されるパスサッカー、地味な学者タイプのキャラクターなどは嫌われる傾向があったのでしょう。
 ジェフは昔から冷静でテクニカルなタイプの選手よりも、プレーで気持ちを見せて前にガンガンといけるタイプの方が愛されるところがあります。
 そこにネームバリューのあって縦に速いサッカーを目指す関塚監督が就任したことで、過大評価状態になっていった部分があったように思います。


 ちょうど鈴木監督当時はパスサッカーを目指していたアギーレ監督に対する反発も強く、アンチパスサッカー的な流れもあった印象です。
 しかし、縦に速い展開を掲げたハリルホジッチ監督も関塚監督も後に苦しんでいるように、"隣の芝生"的な部分は強かったと思います。
 どちらがいいかという話ではなく、日本人選手にはどのようなサッカーがあっていて、どのようなスタイルが求められるのかどうか。
 アンチパスサッカーの風潮が、あまりにも強く出過ぎていた時期でもあったように思います。



 実際、当時のジェフは試合終盤の押せ押せ状態を除けば、それまでの時間に良い攻撃が作れず苦しい時間帯が多い試合が続いていました。
 10月は素晴らしい成績だったものの11月には相手からの研究も進んでいき、試合終盤に集中して守ることで早くも苦戦の色が出始めていた印象です。
 ラスト2試合がJ3に降格する富山とJ2・J3入れ替え戦に回った讃岐ということもあって、何とか勝点を稼ぐことができましたが、内容はかなり厳しいものでした。


 そして、プレーオフ山形戦では1点を先に奪われ、その後は攻撃の芽も作れないような状況のまま敗退してしまいます。
 それまで試合終盤の押せ押せ状態に頼ってきたジェフですが、この日はプレッシャーもあったのかその状態が作れず。
 やはり短時間だけの勝負でけではなく、メインのスタイルで戦えるチームを作らなければ安定した成果を出すのは難しいのだなと感じた試合でもありました。
 要するに一時の勢いだけでは真の意味での強さを身に付けたとは、言い難いと言えるのではないでしょうか。
 そこで勘違いしてしまった部分も大きかったように思います。