「方向性が不透明」な状況から脱することができるのか

 宇都宮徹壱氏によるスポナビでのジェフコラムの後篇「ジェフ愛」を隠そうとしない人々
 まさか07年の大量流出が取り上げられるとは思っていなかったので少し驚きましたが、考えてみれば当時のオシム監督の経緯に関して宇都宮氏は積極的に取り上げていた印象がありますので、現在でも気になるところだったのかもしれません。
 ジェフの歴史上においても非常に暗い時期で、当ブログもオシム監督率いる日本代表ネタも含めて最も炎上していた時期だったのではないかと思います(笑)
 ですから、あまり明るい話ではないですけど、当時を知らない方も少しずつ増えているようですし、ジェフにおいての悪い意味でのターニングポイントだった時期だとも思うので、せっかくですから取り上げてみたいと思います。

みんなオシムさんに育てられた選手ばかりなので、ジェフでオシムさんのサッカーができないのであれば、新しいところでトライしないと、というのはありましたね。あとオシムさん自身が『リスクを冒せ』と、ことあるごとに言っていましたから。

 勇人のコメントですが、当時もオシム監督のチャレンジ精神を意識して移籍するというような話をしていた選手は少なくなかったと思います。
 コラム内に出ている江尻コーチに関しては、オシム監督が選手、コーチとして長らくジェフに在籍した江尻コーチに対して「なぜこのチームが勝てないのかわからないお前がいること自体がジェフが勝てない理由なんだ」といったのは有名な話で、当時から武者修行的な意味合いの強い移籍だったかと思いますので、同じ事例として取り上げるのには違和感を覚えますが。


 ただ、選手の大量流出に関してオシム監督のチャレンジ精神とうのは当時からある種の言い訳のようにも感じていて、もう1つの理由として書かれている「クラブの方向性が不透明」という点の方が非常に大きい問題だったと思います。
 06年途中にオシム監督はジェフから日本代表に移る(当時は強奪とも言われており未だにそれを"移籍"と書くには抵抗があります)わけですが、その時にJFA側が接触したのが当時のジェフ淀川社長。
 まぁ、その頃言われていたように交渉で初めて接触したのが淀川社長だったかどうかは別として、川淵氏を中心としたJFA側が古河ルートを使ってジェフと交渉した可能性を言われていました。
 「方向性」とはまだ異なる話になりますが、そういったやり方に応じてしまったことによって、内外からの反発が出ていたのではないかと。
 それに加えて、それまでチーム運営を引っ張ってきた祖母井氏も退団。
 そこからフロントへの不信感が強まったということになるわけです。
 もともと主力選手の退団が少なくなく、聞こえてくるフロントの問題は多数あったクラブですから、それが爆発した形になったとも言えるのかもしれません。



 まぁただ、個人的にはそれだけではなかったようにも思いますが。
 当時のフクアリの雰囲気は、一言で言って最低だったと思います。
 特に07年は試合前からオシム監督の跡を継いだ息子であるアマル監督にブーイングが起こり、新潟戦で最も大きな拍手が浴びせられたのが1年間だけ移籍していた坂本に対してだったり。
 選手としてもプレーしづらい環境だったことは、言うまでもないでしょう。


 その背景にはオシム監督退団以降の成績不振というのもあったのでしょうけど、前著のようなフロントへの不信感も大きかったと思います。
 しかし、フロントへの不信感からによるフラストレーションを、チームに浴びせるのはいかがなものか…とは、当時からブログでも話していたことでした。
 実際、06年末には阿部、ハース、坂本といった主軸選手が退団となっていて、戦力的には楽ではなかった。
 それ自体がフロントの問題であるという意見もありました。


 けれども、チームとしては若返りを図りたかったという面もあったのではないかと。
 オシム監督も06年の段階で選手の入れ替わりが少なかったことを嘆いていたし、06年開幕前に古巣シュトルム・グラーツ(率いていたのは現浦和ペトロヴィッチ監督)と対戦し0-5で敗れてホテルの部屋に閉じこもるなんてこともありました。
 当時は予算の問題で毎年選手が流出しており、05-06年オフには珍しく入れ替わりが少なかったため前向きに迎えられると思っていたのですが、オシム監督としてはむしろ選手が入れ替わらず新しい選手が入ってこないことによって、チームを伸ばしきれない問題を感じていた部分があったのではないかと思います。
 オシム監督ですらも伸び悩みに悩んでいたのではないかと思うわけで、06年末から若返りを図ったというチームの狙いはそこまで大きく間違っていなかったのではないかとも思いますが、その狙いがサポに通じることはなかったと…。
 長い目で考えてみると、ジェフはあの年のオフ以来安直な補強に頼るようになって若手育成がうまくいかなくなり、長らくチームのベースを作りきれないまま低迷期を迎えているということにも繋がります。



 まぁ、しかしそれを差し引いたとしても、07年の早い段階からまだ就任して間もない監督に対して不信任を突き付けていたわけですから、それだけも異常な状態で。
 しかも、当時は巻、山岸、羽生、水野、水本といった主力選手が、フル代表、五輪代表に大量召集されてコンディションは最悪。
 07年はアジア杯、北京五輪予選があって、特に過密な日程となっていました。
 加えてアマル監督も父親からの直接のバトンを渡されプレッシャーも考えられる中、サポにまで反発を受けてしまうと。
 個人的にはもう本当にあの時のあの雰囲気が嫌で嫌で、何度フクアリに足を延ばすのをやめようと思ったことか…。


 「クラブの方向性が不透明」という声はサポからも多く聞かれたわけですけど、今まで欧州人監督を飛び続けた祖母井さんがいなくなり、その祖母井さんが招いたアマル監督、唐井GMを退団に追いやれば、当然方向性の再構築は免れないわけで。
 もちろんフロントが監督とGMを守れなかった面もあったわけですが、2人不信任を突き付けて「方向性が不透明」と言うのは、どうにもサポのマッチポンプという面もなくはなかったように感じていました。
 そういった経緯もあるので、今季の鈴木監督への応援中止も「懲りてないの?」と半ば呆れた気持ちで見てしまったわけですが…。

京都に移籍した佐藤に求められたのは、「オシム・サッカーの伝道師」としての役割であった。実際、当人もその役割に積極的だったようだ。しかし、毎年昇降格を繰り返している京都は、佐藤が加入した08年もほどなくして残留争いに四苦八苦。「オシムのサッカーを京都でも」という理想は早々に撤回され、J1残留を第一とする現実的なサッカーへの方針展開を余儀なくされた。

 これも当時から言われていたことでした。
 しかし、ジェフでも方向性の不明瞭さで退団し、京都でも同じ理由で退団…というのはいかがなものなのかなと思ったりもしたわけですが。
 かといって、復帰当時のジェフに明確な方向性などがあったようには見えなかったですし。


 もちろん選手に関しては短い選手生命ですし、沈みかかった船に乗り続けるというのは賢い選択ではないと思います。
 クラブ内部にいれば、外から見る以上にその沈み具合は強く感じられたのかもしれない。
 でも、それでも代表選手でジェフに残って、戦おうとしてくれた選手もいる。
 それが巻でした。
 だから、巻は特別だと思ったし、巻を追い出したかのようにも見えたその後のフロントには納得いかないところがあったわけですが…。


 それと勇人のジェフ復帰は林、村井、茶野と同時に行われたものでした。
 そして、4人ともジェフから移籍する選手が多かった代理店カンテーラ所属ということもあって、この時は逆にセットでジェフに売り込んできたのではないかという印象もなくはありませんでした。
 勇人以外は元チームから戦力外扱いだったはずでしたし、ジェフとしては1年でのJ1復帰のためにともかく戦力が欲しかった時期で、そこに付け込んできたのではないかと。



 …まぁ、正直に個人的な意見を言えばジェフに復帰する選手が多い件に関しては、さして興味があるテーマではないのですけどね(笑)
 これが現在で言えば阿部や寿人や水本のように、J1のトップチームでも主軸として戦っている選手が戻ってくるとかいうのであれば大きなサプライズですけども、実際には戦力外やそれに近い選手も多いわけで。
 「ベテランになって古巣のチームを救うために戻ってくる」というケースは海外でもあるとは思いますけど、そういった選手は本来限られたレジェンドであって、年に何人もそういった選手がいるようでは当然年齢層も高くなってしまい、歪なチームが出来てしまう。


 単純に考えても村井がジェフにいなかったのが25歳から30歳まで、茶野がジェフにいなかったのが28から33歳まで、山口智に至っては23歳から33歳までで、選手としての旬な時期は他チームで戦っていることになる。
 そうなれば当然、ジェフとしては手放しで喜べるものではないはずで。
 元々ジェフ復帰ルート第一号であるユース出身の中後も大量放出の翌年に獲得し「ジェフを離れる選手だけでなく、戻ってきてくれる選手もいるんだ」という心情的に訴えたい部分のあった補強ではないかと思います。


 確かに元ジェフの選手にはそれぞれ愛着もあるし、戻ってきてくれたという嬉しさもあります。
 しかし、そういった補強によって強化の軸が蔑ろになってはいけないし、それによって長期ビジョンに欠け、チームの強化方針にぶれが生じるのであれば、それこそ「方向性が不透明」なクラブになりかねないわけですからね。

「居心地の良さ」が、結局のところJ1復帰を果たせない要因のひとつとなっているという指摘もある。
(中略)
だが、それより何より反省すべきは、「J1復帰」に重きを置き過ぎたばかりに、強化の方向性が目まぐるしく変わってしまい、一貫したビジョンを構築できなかったことであろう。

 どっちも改善しなければいけない問題でしょうけどね。
 たしかに後者の方が問題は大きいのかなとは思いますけど。
 環境は素晴らしいといわれるジェフですが、ユナパが出来たのが09年なのでユナパが出来て以来、ジェフは大きく浮上していないんですよね…。

「2010年の時点で、降格した原因をしっかり分析して、もっとしっかりしたビジョンを築くべきでした。それを省いてしまって『すぐに(J1に)戻れるだろう』と考えてしまったのが、一番の失敗だったのではないでしょうか。この3年間を無駄にしないためにも、何かを始めなければならない。サポーターも、単に勝った、負けたではないものを求めていると思いますので」

 斎藤TDのコメントですけど、まさにおっしゃる通りだと思います。
 降格した時にJ2を甘く見過ぎて、1年で復帰できるだろうと簡単に考えてしまった。
 1年での復帰を考えたから即戦力の補強も多かったけれど、実際には簡単ではなくそこで失敗してから更に毎年1年での復帰ばかりを狙い、悪い流れが続いてしまっていると。
 それだけに今は長期ビジョンが必要なんだと思います。
 こういった話をTDの立場である方が話してくれたというのは、ジェフにとって大きな一歩ではないかと個人的には思うのですが。

その結論として浮上したのが「オシム時代への回帰」であった。

 これに関しては1つの考え方ですから、それで行こうというのならそれでいいんじゃないかと思います。
 しかし、前にも言った通りやるからには、しっかりやってほしいと思います。
 "オシム"という言葉をスケープゴートにしてほしくもなければ、"オシム"という言葉にたじろいで半端な姿勢を取るのも宜しくない。



 もちろんオシム時代の再現は難しいかもしれないけれども、それでも自分たちの考えるオシム時代というのはなんだったのかを明確にして、そこを目指していくこと自体は不可能なことではないはずで。
 もしその方向で行くと明確にしてくれるのであれば個人的には歓迎したいですし、強く応援していきたいところだと思います。


 逆に"密かに"やっていくというような中途半端なやり方であれば、結局07年末から続く「方向性が不透明」な状況のまま変わらないわけで、それでは何の解決にもならないように思います。
 それこそ、勇気をもってリスクを冒してでも、1つの方向性に突き進んでいけるのかどうか。
 そこが今のジェフに最も求められているところなのかもしれません。